伊能忠敬も宿泊した渡辺邸の歴史に幕がおろされました。累計で署名約15,500名の提出となり、平成24年11月12日大阪市会文教経済委員会で埋蔵物の調査、記念碑の設置等の陳情書が採決されました。源頼光・源四天王と鬼たちや土蜘蛛たちと目指そう日本遺産 2017. 4.28更新
渡辺邸の現状
2012年4月に新聞などで報道された通り渡辺邸は解体の危機に瀕しています。
<渡辺家概要>
渡辺綱の子孫と伝える渡辺久良左衛門源忠綱(天正十年 1582没、行年不明)が構えた屋敷跡と伝え、もしそうなら大阪落城より以前からあった市中最古の民家の一つとなる。綱はいうまでもなく源頼光四天王の一人で、鬼同丸や羅生門の鬼を退治した豪傑である。建物は母屋と長屋門、土蔵等で、宏大美麗な庭があり、無論何回か修理したであろうが、母屋の大黒柱に直径一メートル、長さ七メートルという古松の梁や蔶の子造りの天井は創建当時のまま。
渡辺邸の現状を確認しに行きました、撮影日は2012年8月12日です。
渡辺邸の敷地の外周を徒歩で1周しています、5分程度の動画ですが渡辺邸周辺の街並みも含め屋敷の雰囲気を知ることが出来ると思います。
大阪市渡辺邸保存会は解体の危機に瀕している大阪市最古の民家「渡辺邸」を保存する活動をしています。
400年以上の渡辺邸の歴史に幕がおろされました。署名終了してます。
源頼光・源四天王と鬼たちや土蜘蛛たちと目指そう日本遺産
源頼光・源四天王と鬼たちや土蜘蛛たちの日本遺産登録と平成30年以降に整備予定の仮称渡辺公園を日本遺産リストになるそれ相応の公園整備を要望中!
注) 渡辺邸の「渡辺」の表記について
渡辺邸を所有していた渡辺家は正式には渡邊家です。
しかしながら「渡邊」この漢字は現在用いられることが少なくなり代わりに「渡辺」が使用されていることから当保存会も正式には「大阪市渡邊邸保存会」ですが、利便性を考え連絡先、印刷物、ホームページの表記は「大阪市渡辺邸保存会」としております。